鳥取城・仁風閣
2010年 03月 18日
今ある天守閣はほとんど復元されたもの。
城跡には、石垣だけが当時のまま残り、
大切な文化財として整備、保存されているところも多いですね。
鳥取城も今は門と石垣が残るのみですが、歴史を調べてみると鳥肌が立つような戦がありました。
天正9年(1581)秀吉が2万の大軍で鳥取城を取り囲み、兵糧攻めの作戦をとったそうです。
2か月で食料は底をつき、後は飢餓地獄。
4ヶ月後に開城するまで、想像を絶する悲惨な状況にあったようです。
そんな案内は現地にはありませんでしたが、久松山を見上げるとなるほどと
往時が偲ばれました。
仁風閣は大正天皇が宿泊するために建てられた洋風建築。
入館料150円でしたが、こちらは内装も調度品もすばらしい。
曲線美のらせん階段は、見るだけで溜息が出ました。。
当時市役所の年間予算が5万円のところ 4万4千円で建てられたんだそうです。
一見の価値あり。
仁風閣・宝扇庵
次男が文京区の根津に住んでるんですが、そこへ行った時、見に行った旧岩崎邸、それによく似ています。この建築が明治29年。仁風閣が明治40年、こちらは日本人の設計ですが、似た年代ですよね。どちらも、当時、最高級の邸宅だったのでしょうね。
これ、旧岩崎邸の動画ですが、よく似てません?
http://www.youtube.com/watch?v=2PnclJh6Z3U
どちらも財閥でいらして豪邸ですね。うちの弟など、官舎のアパートで、子供が5人なのに二部屋しかなくて、布団を出した押し入れの上下にも子供が寝てました。玄関を開けたらお勝手で食堂。上品な御婦人が来られてドアを開け、大慌てで「失礼致しました。お玄関はどちらでしょう?」と仰ったそうです。「玄関はここです」と申し上げたら、「まあ、お勝手口かと思いました」とおっしゃり、再度、慌てふためき「重ね重ね、ご無礼なコトを申し上げ・・」と謝ってお帰りになった由。これでは、入場料も取れません。♪